現政権で行われている農協改革は、そもそも農業の振興を目的としていないように見える。だからあまり関心はないのだが、日本の農協のあり方を考えるいい機会であるようにも思う。
農協改革が喧しく言われるようになったのも、農協の票田としての価値が低下してその存立基盤が弱体化していることの現れだし、一度「農協とはどうあるべきなのか」を広く議論したらよいと思う。
私自身、日頃疑問に思っていることを整理してみたい気持ちもあるし、ちょっとだけ農協のあり方を考えてみたい(予め言っておきますが結論は出ません)。
さて、私が一番問題意識を感じているのは「農協の収益構造」である。
以前の記事(1,2)で、「農協は、農産物の流通部門は赤字で、その赤字を保険・金融関係の収益で補填している」というようなことを書いた。「本業」と思われている農産物の流通(集荷・販売)は収益事業ではないどころか財務諸表にも載っていない事業で、逆に保険(共済)や金融(信用)の方こそ財務諸表の主戦場なのである。
だがそれがゆゆしき問題であるかどうかは一考を要する。例えば、郵便局も「本業」の郵便事業は創業以来ずっと赤字であり、その赤字を簡易保険や郵貯の利益で補填するという農協と似たような収益構造がある。 それがさほど問題視されないのは、このような構造に対する社会的承認と組織内での合意があるからである。
農協の場合も、ある意味ではそれに似た合意があったのだと思う。しかし、であるならば、どうしてそのような合意が形成されたのか、ということが問題になってくる。
そしてもう一つの疑問は、農産物の流通の赤字を他から補填するという収益構造は必然なのかということである。郵便の場合、全国一律たったの52円でハガキを届けるというような、法に定められた無理な事業を行っていることから赤字は必然であろう。だが農協の行う農産物の集荷・販売については薄利なのが予見されるとしてもそれほどの無理はなさそうだ。とてもこのような収益構造が必然とは思えない。
実際、欧州先進国の農協にはそういう構造はなさそうである。というか、欧州では農産物の集荷・販売などと金融事業は別の組合が行うのが普通で、日本のように農産物の集荷・販売、肥料や資材の共同購入、金融事業、保険事業など全てを担ういわゆる「総合農協」はないようである。
しかし実は、日本の農協は19世紀末にドイツで生まれた農協をお手本の一つとして作られたものであり、かつてはドイツでも総合農協があったようである。それが次第に機能毎に分離して現在の姿になってきたようだ。
ちょっとこの動きは興味深いので、ドイツの農協の歴史的経緯について簡単に触れておく。
ドイツで農協が生まれた19世紀末は農村が疲弊して、その日の暮らしにも困る貧農がたくさんいた時代だった。折しも天候不順や新大陸からの新しい病害虫によって農業の生産性が低下するとともに、農村にも貨幣経済の波が押し寄せ、現金収入に乏しい農民が貧民化していくという状況にあった。
こうした農村の悲惨なありさまを変えようとしたのがドイツの農協の産みの親、フリードリヒ・ライファイゼンである。ライファイゼンは今で言えば社会事業家であって、例えば明日のパンにも困る人たちのために、パンを共同で焼いて廉価に販売する「パン焼き組合」を起こすなど、慈善に頼るのではなく農民自身の共助と自助によって生活改善を行う活動をしていた。
そのライファイゼンが、ドイツ西南部のアンハウゼン村というところで借金組合を起こしたのがドイツの農協の起源である。その頃、農民は金を借りようにも普通の金融業者から相手にされなかった。仕方なく高利貸しに頼り、べらぼうな金利を取られることでさらに貧民化してゆくという悪循環が起こっていた。
そこでライファイゼンは、農民を組織化して互いに無限責任を負わせる(つまり誰かが破産したら残りの全員がその連帯保証人になる)ことにより信用力を高め、金融業者からまとめて金を借りて、それを農民同士で低利融資する仕組みを作った。
これはまさに現代のインドにおいてムハマド・ユヌスが行ったマイクロファイナンスと相似な事業である。マイクロファイナンスには功罪両面があり、多分ライファイゼンのやり方もよいことづくめではなかったのだろうが、この仕組みは大成功してドイツ各地で同様の取り組みが行われた。それだけでなく、その評判を聞きつけた外国の人たちも草の根レベルから政府レベルまでこぞって真似をしたのである。
それが現在まで各地で続く「ライファイゼンバンク」の濫觴だ。現在、ドイツのライファイゼンバンクはドイツ国内で第2位の預金規模を誇るメガバンクに成長しており、これを真似して作られたオーストリアのライファイゼンバンクも預金規模では同国内1位である。同様の農業協同組合銀行は、フランス(クレディ・アグリコル)、オランダ(ラボバンク)でも国内1位のメガバンクに成長している。
しばしば、日本の農協は銀行になってしまった、と嘆かれることがあるが、銀行業は歴史的経緯を見れば元々農協の事業の柱であり、その批判は的外れであると思う。少なくとも、欧州先進国においても農業協同組合銀行がメガバンクとして残っているところを見ると、農業協同組合銀行そのものは社会にとって必要なものだった。
ただ、日本の農業協同組合銀行、つまりJAバンクが銀行として適正に運営されているのかというのは別問題である。ちゃんとした統計が見つからなかったが、どうも欧州のライファイゼンバンクらと比べ、JAバンクは農林水産業への貸付比率が低いようである(違っていたらすいません)。
ライファイゼンバンクが農民(や小規模商工業者)から集めた資金を再び農業への貸付に環流させているのと比べ、JAバンクの場合は90兆円もの預金規模がありながら、20兆円ほどしか貸付に回っていない。もちろんJAバンクも農村・農業への融資は行っているが、欧州各国の農村信用組合銀行に比べてその機能が弱く、集めた資金は農業分野というより一般の資金運用に回っている割合が多いようである。
同じような機能を持ちながら、日本と欧州各国の
信用組合銀行になぜこのような違いが生まれたのかというのは興味ある問題であるが、それはさておき、農協のあり方を考える上においては、JAの銀行機能の肥大ということを問題にするのではなく、むしろそれがちゃんと農林水産業の振興に役立ってきたのか、そしてこれからはどのような役割を担うべきなのか、という視点が必要だと思う。
現状、JAバンクは農村において年金受け取りの窓口としての機能が大きいような支店も多いような気がする(主観です)。だがそれで十分とは誰も思っていないだろう。一方、ライファイゼンバンクなども時代の変化を受けて融資先や営業形態を大分変化させているようであり、組織形態や根拠法なども変わりつつある。農業信用組合銀行のあり方は、世界的にも岐路に立っている。
(つづく)
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