2015年12月22日火曜日

今年の5冊

年末なので、いろいろなところで、「今年読んだ本ベスト10」のようなことをやっている。私はこれまでそういうランキング(?)をやったことはなかったが、最近「本との関わり方を変える」ということを密かなテーマにしているので、今年はあえてその顰みに倣ってみようと思う。

というわけで、私の「今年読んだ本ベスト5」は次の5冊。といっても、1年で40冊くらいしか読んでいないので、ずいぶん選考基準の甘いベスト5だが。(ちなみに↓のリンク先は私の読書メモブログ)

『イスラーム思想史』井筒 俊彦 著
『チベット旅行記』河口 慧海 著
『無縁声声 新版―日本資本主義残酷史』平井 正治 著
『犬と鬼—知られざる日本の肖像』アレックス・カー 著
『麵の文化史』石毛 直道 著

『イスラーム思想史』は、たぶんこの一年で一番知力を使って読んだ本。この本のお陰で西洋哲学に比べてどうしても縁遠かったイスラーム思想が朧気ながらに見えてきた。近代キリスト教思想が発展する遙か昔に、イスラーム思想はその先蹤となっていた。その知的水準はほとんどデカルトやスピノザに到達している。

…ということは理屈として知ってはいたが、それをキンディー、ファーラビー、ガザーリーといったこれまで馴染みがなかった個人名で辿る思想史として理解できたのは大きな収穫だった。しかし、その知的水準はデカルトに到達しながら、イスラーム思想は遂に新プラトン的アリストテリスム、すなわちスコラ哲学を乗り越えることができなかった。イスラーム世界はほとんど近代科学への扉を開いていたが、スコラ哲学を破壊する前に文明そのものが衰退してしまったのが悲劇だったのかもしれない。

『チベット旅行記』はエンターテインメントとしてめっぽう面白い。読み始めたら簡単には止められないほど面白く、トイレの中でも本を読んだのは久しぶりだった。

ちなみにどうしてこの本を手に取ったのかというと、ジョージ・サートンという人の『古代中世 科学文化史』という本を読んでいたら、チベット文明が科学史において意外と大きな存在感があることに気づいて、チベットは今でこそ世界の辺境みたいなところだが、かつては文明の先進地の一つであったということに興味を抱き、近代以前の面影がある河口慧海の頃(明治時代)のチベットはどうだったのだろうと本書をめくった。

探検文学というものは、基本的には未開の地に足を踏み入れるという、ある意味で近代人の傲慢があるものだが、河口慧海の場合は仏教の原典を学ぶために鎖国状態にあったチベットへと秘密裏に入国したわけで、未開の地としてのチベットではなく、近代以前の文明の先進地への尊敬を持ってチベットへと赴いた(実際に河口慧海はチベットで大学へ入学)。その点が、本書を並の探検文学とは全然違うものにしている背景だと思う。というわけで、科学史のことはすっかり忘れて、エンターテインメントとして読んでしまったくらい面白い本である。

『無縁声々』は大阪釜ヶ崎(ドヤ街)の伝説的人物、平井 正治の主著である。恥ずかしながら、偶然、書店で本書を手に取るまで、この度外れた人物のことを知らなかった。日雇い労働者として苦役に従事しながら、最底辺の人間が生きてきた世界のこまごまとした出来事を記録し、さらには労働争議の先頭に立って戦うという、労働者であり、学者であり、活動家でもある人物である。

東京オリンピックという「国の威信」がかかった巨大事業が動き出している今年、この本を読んだことには大きな意味があった。そうした「国の威信」の裏に、どれだけの労働者の犠牲があるのかという平井の糾弾に、今こそ耳を傾けるべきだ。「国の威信」のために無理な工期が組まれ、そのために安全対策が疎かになり、いざ施設が完成すれば労働者は不要になる。使い捨ての労働者の存在を前提とした、こうした巨大公共事業こそドヤ街(≒スラム街)の産みの親なのだ。

『犬と鬼』は、日本に住んでいると当たり前すぎて気づかない日本のダメな点について激しく指摘してくれる、日本への愛のムチのような本。ただ「日本のここがダメだあそこがダメだ」とダメだしをするだけの本ではなく、日本にある素晴らしい潜在的な魅力を認識しながら、そこを台無しにしてきた日本人の鑑識眼のなさと、マネジメント能力の欠如を嘆く。

本書は最初英語で書かれ、それが著者の監修の元で日本語訳された。こういう本が、日本人向けに書かれたのではなく、英語世界に対して日本の真の姿を伝えるものとして書かれたことにも意味がある。本書はやや学術的なスタンスで書かれているので、論旨に関心があるが手軽に済ませたい向きには、本書のエッセンスを凝縮させて、写真を充実させた同著者の『ニッポン景観論』がオススメ。皮肉が効いた痛快な文章は苦笑の連続。

『麺の文化史』は本来ベスト5に入るような類の本ではないが、なにしろ私は麺好きなので、あえて入れてみた。「鉄の胃袋」の異名を持つ、石毛 直道氏による麺を訪ねるフィールドワークは麺好きでなくとも面白い(はず)。学術的な考察はもちろん大事だが、食品の研究はともかく食べるということがなくては始まらないわけで、どんなにお腹いっぱいでも土地の食べ物は食べておくという著者の姿勢はすばらしいと思う。

この5冊の他に、選外として『ハイパー・インフレの人類学:ジンバブエ「危機」下の多元的貨幣経済』早川 真悠 著『砂糖百科』高田 明和、橋本 仁、伊藤 汎 監修を挙げておこう。この2冊は、私自身は非常に興味深く読んだが、どちらも本としての完成度はいまいち(前者は若書きな感じで、後者は本というより事典のような感じ)なので5冊に入らなかった。でもこの分野に関心がある人ならとても面白い本だと思う。

来年もたくさんの良書との出会いがあらんことを!

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