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2015年7月4日土曜日

社会の主導権を若者の手に取り戻す:南さつま市まち・ひと・しごと創生総合戦略へ向けて(その4)

さて、いろいろ書いてきたが「まち・ひと・しごと創生」の戦略といっても、実は「何をするか」はさほど重要ではないと思う。

これは地域おこしとかも同じで、実は「何をするか」は大して問題ではない。ここを勘違いしている人が多く、地域おこしというとすぐに「妙案」はないかと探してしまうのだが、妙案なんてインターネットにいくらでも転がっていて全然不足はしていない。

では何が大事かというと、何をするにしてもそれを「どうやってやるか」ということである。

どんなプロジェクトでも、センスと企画力と行動力のあるリーダーの下でやれば成功間違いなしだし、期待した以上の効果とそれからの意外な展開があるはずだ。だがそんなリーダーがいれば苦労しないわけで、これは無い物ねだりというものだ。

ではどうするか。それは「若い人の力でやる」ということだと思う。若い人の方が、経験豊富な人より優れているかどうか分からない。でも未来は若い人のためにある。「まち・ひと・しごと創生」とかいうことも、結局は若い人が生き生きと暮らしていく地域社会にしていくことが大事なわけで、まずその当事者である若い人が主役にならなければおかしい

それで心配するのは、田舎(だけでなく都会も一緒なのだが)の各種ブレーンの高齢化である。つまり、何事につけても上席にいるのがお年寄りばかりで、ただでさえ少ない若い人が表に出てきていないということだ。

「大浦まつり実行委員会」みたいな、まあ毒にも薬にもならないような実行委員会でも、やはり中心は街の顔役たちであって、若い人は実働部隊になっている。これは行政が主宰する(または事務局の)各種委員会の人選というのが当て職(自治会連絡会長が委員になるのが決まっているなど、各種の顔役を自動的に委員にする仕組み)になっているからだ。

社会の人口構成自体が高齢化しているのに、それに歩調をあわせてこうした会議も高齢化してしまっては先が危うい。

例えば南さつま市最大のイベントである「吹上浜砂の祭典」もそうだ。これだけのイベントに成長したことは誇ってよいし、先達に感謝もしなくてはならない。でも何かどこかでボタンの掛け違えがあるような気がする。市民に愛されるイベント、からどこか離れていっているようで心配だ。

その背景に、実行委員会の体制があるのではないか。(実行委員長の名前すら公表されていないので伝え聞きによるが)実行委員会が高齢化してマンネリ化し、若手のアイデアを消化できなくなっているのではないか。大切に育てるべき若手の小さな発案を、巨大なイベントを大過なく運営することを優先するあまり踏みつぶしていっているのではないか(想像で批判してごめんなさい)。

「砂の祭典」を行政が巨大な労力を掛けて実施すること自体の賛否もあるようだが、私自身はやることはよいと思う。でもそのやり方が問題だ。ちゃんと若い人が中心になって、若い人の自己実現の機会になれているかということだ。「砂の祭典」だけでなく、市内で行われる様々な行事や事業が、若い人の力の発露となっているか。

だからちょっと過激な案かもしれないが、行政が主宰または事務局を務める会議や組織のチーフ(委員長とか議長とか)は、全て40代以下にすることを提案したい。そして当て職委員の数は半分程度に減らす。多分今のチーフは60〜70代が中心ではないかと思うがこれを30年若返らせる。もちろん委員全体としても若返りを図る。そうするとそこでの議論は全く違うものになってくると思う。

「やりたがる若手がいない。若手が育っていない」などと言うなかれ。あなたがそう思っているその若手は、曖昧な笑顔の裏で「この話の通じないロートルに何と言えば提案が通るのか」と考えを巡らせているはずだ。若手が育っていないと感じるのは、若手が未熟なのではなく高齢者と違う考えの世界に生きているからで、彼らからみれば年寄りの方こそプロジェクトを阻害する存在なのである。

同じことは地方議会についても言える。今の南さつま市議会の平均年齢は60歳を超える。それでは多様性のある未来志向の議論はできない。やはり子育て世代や現役バリバリの人もいないとどうしても議論は時代遅れのものになる。物事の中心には「今」を生きる人がいるべきだ

だから市民全体として、若い議員候補を育てていかなければならないと思うし、議会自体も現役世代が参加できるような工夫が必要だ。例えば議会を平日の夜開催するとかである。今は議員に立候補できるのはどうしても引退世代か、自営業など時間に自由がきく人が中心になっているので、仕事をしながら、子育てしながら議員もできるようにする環境を作っていくのが大事だと思う。

そして、議員の平均年齢を50代に下げることができたらそれこそ「地方創生」になることは間違いない。

私は、究極的には地域おこしというのは地方自治のリノベーションだと思っている。もっと過激なことを言うなら、地域おこしとは、「地域の主導権を若者の手に取り戻すこと」に他ならないとすら思う。

高齢社会の悪いところというのは、もちろん社会保障の負担とかそういうこともあるが、それ以上に「考え方の古い年寄りが社会の主導権を握る」ことではないか。今のような変革の時代だからこそ、思い切って若手に道を譲ることが必要だ。

思えば明治維新の時もそうだった。明治維新とは、下級武士(若手)によるクーデターと見なせるがなぜあの時代に薩摩の下級武士は急速に力をつけたのか。それは社会が変革の時を迎え、鹿児島−京都・江戸をたびたび(多くは徒歩で)往復しなくてはならなかったので、そういう移動は年寄りには負担が大きく敬遠され、それで自然と若手が行動の中心になったからだ、というのが私の持論である。何しろ当事者として外部といろんな話をしてきているのだから若手の方が強くなる。最初は使いパシリ・伝言鳩的だったのかもしれないが、結局はやりとりの現場にいるものが主導権を握るものである。

一方現代はどうか。高齢者は、健康でありさえすればいつまでも社会の中心に居続けることができる。昔なら集落から役場まで出て行くことだけでも億劫だったが今なら車で数分だ。もちろんそれはいいことだ。年寄りだからといって家の中に閉じこもるようなことはよくない。どんどん外の世界へ出て行ったらよいと思う。しかしそのためにいつまでも若手が地域の顔役の影に隠れるようなことがあってはよくない。

「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の主眼は、要するに人口減少への対応をどうするかということであり、それは喫緊の課題である。だがその戦略を年寄りが中心になって作るようなら全く意味はない。これからを生きる若い人が中心になって考えるべきことだ。

もちろん年寄りを置き去りにするつもりはない。彼らは多数派なのだから、黙っていてもその意向は社会経済に色濃く反映されるはずだ。それよりも、耳を澄まして聞くべき若い人の意見、両手で優しく包んで守らなくてはならない未熟なアイデアを大事にして、「これからを生きる人のリアル」をその戦略に反映させていかなくてはならない。

4 件のコメント:

  1. いつも考え深い興味深い記事を読ませていただいております。ありがとうございます。

    >物事の中心には「今」を生きる人がいるべきだ。
    これにはとても共感です。

    お年寄りとは、時代が変化していることをあえて感じないように生きているのか?
    多数派であるがゆえに、少数派の若者の意見は異端にかんじてしまうのでしょうか?
    彼らが生きていた若いころの変化のスピードと、今の時代の変化のスピードは驚くほど
    違うことに向き合ってほしいものです。
    これからの時代をより良くすることを今考えなくては、ということに気が付いてほしいと思うのは私だけでしょうか? 
    イケイケドンドンの時代を生きたお年寄りには今の時代の閉塞感や失速感は理解しにくいでしょうね。

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    1. いつも記事を読んでいただきありがとうございます。

      今の世の中に驚くほど理解がないお年寄りが居ますね。本当に残念なことです。しかし、今の世の中を全然理解していない若者もいるんですよね、不思議なことに。もちろん数は少ないですが。一方、お年寄りでもよく世の中を分かってくれている人も居ます。

      実際、80歳以上の方と話すとかなり時代の変化に敏感なんですよね。彼らの生きた時代は、戦争もありましたし、戦後の混乱、例えば新円切り換えみたいなこともありました。いわゆるハイパーインフレでお金持ちがあっというまに没落したりしました。昔に比べ今の方が変化のスピードが速いと思うのはいつの世も同じなんですが、実際は明治維新、226事件、日清日露戦争、太平洋戦争なんかを考えると、昔も相当ハイスピードで変わっていっています。確かに江戸時代まで遡るとちょっとゆっくりしていますけどね。あと60歳くらいの人は比較的安定した時期をずっと過ごしているのでのんびり屋が多いですかね。それでもカラーテレビの普及、洗濯機、冷蔵庫、ガスレンジ、自家用自動車の普及といったようなことはライフスタイルを劇的に変えたことではスマホなんか及びもつかないほどのインパクトでしたし(特にガスレンジと洗濯機が革命的)、一見ゆっくりしていた昭和も激動の時代だったんですよ。

      私の書き方が誤解を生んだら申し訳ないのですが、世代間対立を煽りたいわけではないのです。ただお年寄りに道を譲って欲しいと思っているだけで・・・。若い人と年取った人が、それぞれの立場でお互いの強みを発揮できるような社会が理想ですね!

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    2. ご返信ありがとうございました。 
      そうですね。80代以上の方と話すと同じように感じます。 
      しかしながら、ときどき感じるお年寄りに対する感じ(ぞくに老害てきな)にさすがに疲れることも多いのも事実でして。(私的には70代が多いかな?)

      昔のお年寄りの知恵的な若者のよき見本になってくれるような。
      これを感じない昨今にさみしさも。
      今の若者は・・・・ではなく、最近は今の年寄りは・・・が多いのも残念。

      >若い人と年取った人が、それぞれの立場でお互いの強みを発揮できるような社会が理想ですね!

      そうですね。お互いにですね。

      貴重なご意見頂けてありがとうございました。 (^^)

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    3. 実は私もつい先日、70代の老害さんに辟易したところです。正直、足を引っ張っている人もいますから、そのあたりは本当に残念ですね。

      「貴重な意見」などという立派なものではありませんが、こちらこそコメントをいただきましてありがとうございました。

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