2011年のクリスマス、神奈川県から鹿児島県南さつま市大浦町の古民家へ家族で移住。 大浦町は、父方の故地ではあるもののいわゆるIターン。 田舎暮らしのありさまや感じたこと、考えたことのメモ。
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読書メモ(書物周游)
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2019年5月4日土曜日
神武天皇聖蹟を巡る鹿児島と宮崎の争い——なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?(追補)
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2017年の8月から、2019年の1月まで約1年半かけて、このブログで「なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?」という連載記事を20回に渡って掲載した。 だが、執筆構想にありながら敢えて書いていなかったことがある。「皇紀2600年事業」のことについてだ。これはこれで1つの独立...
2013年11月15日金曜日
「南さつま市 市議会だより」で市議の働きぶりを垣間見る
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前回 に引き続き「南さつま市長・市議選挙」の話である。 こちらに越してきてもうすぐ2年であるが、市長選はともかくとして、市議選については個人的に話をしたことがある人もおらず、評判らしきものも聞かないので、誰に投票すべきか悩んでしまう。前回偉そうに争点らしきものを提示した手前、...
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2013年4月2日火曜日
二つのクタジマ神社と大宮姫伝説
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南さつま市万世の当房(とうぼう)というところに小山があり、そこの急な石段を上ってみると 久太嶋権現 という神社があった。 ほんの標高数十メートルの小山だが、吹上浜に向かって(藪は多少あるが)眺望が開け、周りには高いものがないので大変眺めがよい。たった数十メートル視点が上が...
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2012年12月31日月曜日
サメと取違伝説——南薩と神話(5)
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南薩の神話もついに最後のエピソードである。 山幸彦は海神の宮で、海神の娘トヨタマ(豊玉)姫と結ばれたのであるが、海幸への仕返しを果たした後にトヨタマ姫がやってきて、「子どもが産まれるのでやってきました」という。彼女は海辺に産屋を作り、鵜の羽で屋根を葺いていたところ急に産気づい...
2012年12月26日水曜日
隼人の南洋的神話=海幸・山幸——南薩と神話(4)
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黒瀬海岸(撮影:向江新一さん) 南さつま市笠沙に「 黒瀬海岸 」という海岸があり、ここは一風変わった伝説を持つ。 なんでも、天孫ニニギは高千穂峰に降臨した後、舟で南下し、たどり着いたのがここ黒瀬海岸だということで、うら寂しい漁港に神代聖蹟「瓊瓊杵尊御上陸之地」という仰...
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2012年12月11日火曜日
本当は南薩に縁がないかもしれない日本史上初の美人——南薩と神話(3)
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コノハナサクヤの銅像 南さつま市金峰町の物産館は「 きんぽう木花館 」というが、これはニニギの妻となったコノハナサクヤ姫に因む。今回は、このコノハナサクヤに関する神話の話である。 ニニギが笠沙の御崎で出会った「麗しき美人(おとめ)」がカムアタツ姫、又の名をコノハナのサ...
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2012年12月4日火曜日
朝日の直刺す国、夕日の日照る国——南薩と神話(2)
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南薩は日向(ひむか)神話の舞台となったところだが、日向神話を語る前に、記紀神話(古事記と日本書紀で語られる日本神話)の全体像もわかっていた方がいいかもしれない。 ということで、記紀神話について簡単に紹介する。これは天地ができてから神武天皇が誕生するまでを描いているが、大き...
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2012年12月1日土曜日
阿多という地名——南薩と神話(1)
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古事記編纂1300年の今年も残り僅かとなってきたので、この機会に神話における南薩について思うところを数回書いてみたい。 さて、南さつま市の金峰町に、阿多という地名がある。 実はこの阿多という地名は、神話的古代に遡る来歴を持つ。阿多は今では狭い地域となっているが、古代に...
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