本と出会うイベント、の構想を書いたので本の話もしてみよう。
毎晩、私は子どもたちに本を読んであげる。下の子はまだ2歳なのでごく簡単な絵本だが、上の子は5歳なので絵本だけでなく文字だけの本も読み聞かせしている。別に子どもの教育のためにということではなくて、寝る前の儀式みたいなもので読むのはなんでもいいのだが、どうせ読むなら自分自身が面白い方がよい。
それで、日本の昔話を一度ちゃんと読んでみたいと思っていたので、昨年『日本の昔話1 はなさかじい』という本を買った。おざわとしお先生の再話である。
多くの昔話の本がある中でこの本を選んだのにはいくつか理由がある。
まず、このシリーズは伝承された話を忠実に再現(再話といいます)していて創作や脚色がない。他のお手軽な日本昔話本は話を簡略化していたり、当時の道具を(子どもには理解できないといって)出さなかったり、現代の倫理観から結末が変わるなどヘンテコな改変があってよくない。その点このシリーズは採録された話をそのままの形で提示しようとしており、ちゃんと出典が明示されていて信用できる(ただし採録されたそのままの姿ではなく、標準語に改変している。昔話はずっとお国言葉・方言で語られてきた)。
ただ、やっぱり子どもにはちょっと難しい言葉も出てくる。一番難しいのは昔の道具の名前で、「長持」とか「かます(ムシロで作った袋)」なんかは今の子どもは絶対に分からない。が、そういう言葉が出てきても子どもは驚異的な言語感覚によって「なんか入れるための道具だな」くらいのことはちゃーんと推測できるので、実は読み聞かせにはあまり支障はない。
そしてこの本を選んだ理由のその2は、再話しているおざわとしお(小澤俊夫)さんである。実は私はこの小澤先生がFM福岡でやっているラジオ「昔話へのご招待」をPodcastで愛聴していて、農作業中によく聞いているのだ。
小澤先生は元は大学教授でドイツ文学が専門。メルヒェンなどドイツの口承文学を研究するうち昔話に魅せられ日本の昔話も採録・研究するようになった。大学退官後、全国で「昔ばなし大学」という市民講座的なものを立ち上げ、小澤昔ばなし研究所を主宰。民俗学的な考察など学究的アプローチもある一方で、子どもへ昔話を語る活動もあり、アカデミアと草の根の両輪で活躍されている方である。
ちなみに小澤先生の弟が有名な指揮者の小澤征爾さんであり、息子さんはミュージシャンの小澤健二さん。他にも小澤一族には学術と芸術の分野で著名な人がたくさんいる。
ラジオではこの小澤先生が昔話にまつわるアレコレを語るわけだが、その内容は雑学的なものというよりも、究極的には「子どもにどう向き合うか」という話になっていく。その語り口は、「この人は本当に子どもが好きで、子どもが成長していくことに全幅の信頼を置いているんだなあ」と思わされるもので、それだけでこのラジオは気持ちがいい。
翻って自分のことを考えてみると、子どもをぞんざいに扱っている時もあり反省させられる。だからせめて寝る前の読み聞かせくらい毎日欠かさずしたいと思う。このシリーズは5巻で300の話が再話されていて、今のところ2巻の『したきりすずめ』までほぼ全部の話を一度は読んだが、本当に毎日読んでいたら300の話があと2年くらいで全部読めそうである(でも実際には毎日というわけではないです)。
ところで先日ブックオフに行ったら『初版グリム童話集 ベストセレクション』という本が200円で売っていたので買ってみた。小澤先生が昔話の世界に入るきっかけとなったグリム童話である。ついでに言えば、「元の話を改変しない。脚色しない。そのままの形で採録する」というような本シリーズの方針は、実は既にグリム兄弟が打ち出していたもので、グリム兄弟はちゃんと出典(どこどこ地方の誰さんにいつ聞いた話か)まで残している。グリム兄弟はものすごく先駆的な仕事をした人たちなんだということも小澤先生のラジオで知った。
それはともかく、やはりまだグリム童話はうちの子には難しかったようである。日本語訳もあまりよくなく、もうちょっと平明な訳の方がよかった(童話なんだから平明に訳して欲しい)。それに文化の違いなのか、なんだかストーリーがしっくりこないところがあって、私にも意味がよくわからない話があった(なんでそこがそうなるのー! とツッコミを入れたいような話が多い)。
というわけで、まずはやっぱり日本の昔話から読み聞かせを続けたい。
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