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2014年5月27日火曜日

盗まれていた岩屋観音

南さつま市金峰町に、「岩屋観音」という史跡がある。以前から気になっていたので、先日行ってみた。

なお、金峰町には「岩屋観音」が2つあり、これは大坂(だいざか)にある「河内(こち)観音」と呼ばれている方の話である。

県道20号線沿いに「岩屋観音」の案内があり、道路脇に車を止めて5分ほど歩くと木々の回廊の苔むした道となり、登り切ると岩壁を鐫(え)られて作られた岩屋がある。そこに小さなお堂があり、中には観音像が安置させられている。

しかし、期待していたものと何か違う。河内観音と言えば、「廃仏毀釈の頃、岩屋のお堂が壊され観音像は川に捨てられた。これを山之内キクという女性が忍びなく思い、夜中に観音像を川に拾いに行き、密かに藁にくるんで自宅に持ち帰った。信教自由の後このことが明らかになり、キクがこれを保管していたことに周囲は感謝し、以後もとの岩屋に安置した」という伝説で知られる。だが、それらしき観音像はないのである。

廃仏毀釈の難を逃れたという観音像は、大坂、伊作(いざく)、錫山の3地区の住民が崇敬していた立派なもので、蓮弁まで含めて54センチの高さがあり、仏体は着色され、左手に如意宝珠を持ち、右手は掌を正面に向けていたというが、そういう尊像はここにはない。お堂の中に観音像はあるが、小ぶりで金色の観音像があるのみで、明らかに明治以前のものではない。 おかしいと思って調べてみると、なんと、元の岩屋観音は既に無くなっているらしい。

これについては『金峰町郷土誌(上巻)』に記述があるので引用しよう。
[キクが保管していた仏像を]明治二十三年御堂を新しく造って安置した。以後行事も復興した。毎年旧八月十八日の縁日には、伊作・錫山・大坂・田布施から七・八組の踊りを奉納した。(中略)ところが、大正十二・三年ごろ仏像は盗難に遭った。驚いた観音講の人達は百方手をつくして探し求めたが遂に発見できなかった。(中略)その後、観音河内出身の松山嘉一郎氏が東京に在るのを幸いに、同氏に依頼して浅草観音の地から磁器製の像を買い求め御堂に安置し現在に及んでいる。(強調引用者)
ということである。今ある観音像がまさか浅草から来たものだったとは…。

それにしても、仏像が盗まれるとは残念の一言に尽きる。廃仏毀釈という難事を逃れた仏像だったが、盗難という次の難事を逃れることはできなかったわけだ。鹿児島では廃仏希釈が苛烈に行われたために、全ての寺院が廃寺になり、多くの仏像は毀(こぼ)たれ、焼かれ、打ち捨てられた。もし河内観音像が残っていれば、貴重な文化財でもあっただろう。奇跡的に残った明治以前の鹿児島の仏教遺物の一つとして…。

盗まれた河内観音は、今はどこにいらっしゃるのだろう。個人コレクターの所有だろうか。それともどこかの博物館にあるのだろうか。でも、捨てられているということもないだろうから、どこかには保管されているのだろう。いつの日か発見され、観音像が大坂へ二度目の帰還をする日が来て欲しい。

【参考文献】
『金峰町郷土誌(上巻)』1987年、金峰町郷土誌編さん委員会

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