2011年のクリスマス、神奈川県から鹿児島県南さつま市大浦町の古民家へ家族で移住。 大浦町は、父方の故地ではあるもののいわゆるIターン。 田舎暮らしのありさまや感じたこと、考えたことのメモ。
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読書メモ(書物周游)
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2023年4月4日火曜日
過疎で高齢化しているが、子だくさんの町=大浦町から少子化対策を考える
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私の住む南さつま市大浦町は、人口1600人の過疎の町である。 1600人というと、町というよりは村かもしれない。(合併後は、南さつま市の大字(おおあざ)として「大浦町」が設定されているのでそもそも自治体ではないが。) 大浦町の人口減少は甚だしく、平成17年(2005)に2678人...
2021年2月16日火曜日
大浦小学校で学びませんか? 大浦町への移住のススメ
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来年度から、大浦小学校の3・4年生が複式学級になる。 「複式学級」とは、2学年の合計が17名に満たない時に、学年を合併して設置されるものである。要するに、3・4年生が一つの教室で、一人の先生から学ぶ。片一方に問題を解かせている間にもう片方に教える、という感じの授業をやるということ...
2020年1月23日木曜日
共鳴する加速関係——大浦町の人口減少(その4)
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(「 いかにして大浦町が農業の機械化先進地となったか 」からの続き) 大浦のメインストリートを、木連口(きれんくち)通りという。 南北に延びる、700mほどの通りである。今でも、役場、銀行、役場、郵便局、スーパー、農協、ガソリンスタンドなどが並びメインストリートとして...
2020年1月17日金曜日
いかにして大浦町が農業の機械化先進地となったか——大浦町の人口減少(その3)
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大浦からよその地域の農業を見てみると、機械化の遅れに驚くことがある。 例えば、鹿児島市内の近郊でも、未だに結構お米の天日干しがされている。そして田んぼの形は山の地形に沿ってぐにゃりと曲がっていたりする。そういうところの農業は傍目にはのどかで美しいが、実際にやるのは大変で、...
2019年12月6日金曜日
大浦干拓という大事業——大浦町の人口減少(その2)
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(「 大浦町とコルビュジェの理想の農村 」からのつづき) 大浦町は、干拓の町である。 国道226号線を加世田から走ってくると、越路浜を過ぎて田園の中を突っ切る真っ直ぐな道路になり、そこの何もない交差点を南に曲がるとこれまた1.6kmもの一直線の道になる。両側は真っ平...
2019年8月10日土曜日
大浦町とコルビュジェの理想の農村——大浦町の人口減少(その1)
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ここに、農村の地域計画の理想図がある。巨匠ル・コルビュジェが構想したものだ。 この農村のどこが理想的なのかというと、図の左端「1 国道または県道」が農村の中心部から遠く隔たっている、ということだ。 コルビュジェは、建築家としてのキャリアをスタートさせた当初から交通の問...
2019年4月19日金曜日
『薩南文化』に当ブログの記事が掲載されました
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南九州市が出している『薩南文化』という年刊の地域文化誌、この最新号の第11号(平成31年号)に私が寄稿した記事が掲載された。 それは、 「清水磨崖仏群と齋藤彦松」という記事。実は当ブログでかつて書いたものである(ただしほんのちょっとだけリライトした)。 【参考】清水磨...
2015年8月28日金曜日
大浦町の台風被害
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台風15号、ものすごい台風だった。大浦町のランドマーク、丸山島公園のてっぺんにある展望台も全壊した。この展望台、予算の関係でもう再建されないのではないかと思う。 停電は、うちの場合は2日半続いた。全然停電しなかった地域もあるようだが大体は2日間くらい停電したようだ。2日も...
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2013年9月23日月曜日
公民館に残る賞状で見る農村の昭和史
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我が集落の自治会公民館には、古い賞状がいくつか掲示されている。これらは、積極的に掲示しているというよりは、かつて掲示していたものを敢えて外す必要もないからそのままになっている、というのが実態で、一見何の脈絡もない。でもその賞状たちを眺めていると、時代の移り変わりを如実に感じること...
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2013年9月17日火曜日
ウッガンドンに「氏神」と刻まれているわけ
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このあたりの集落には、「 ウッガンドン 」または「ウッガン様」と呼ばれる土地神のようなものがあって、細々とではあるが集落共同の祀りが行われている。 このウッガンドンの奇妙なところは、(全てではないが)正面や見やすいところに「氏神」と表示されていることだ。氏神信仰は別に珍しくも...
2013年6月19日水曜日
二人の「日羅」——南薩と日羅(2)
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坊津の一乗院の創建を始め、金峰山の勧請、磯間嶽の開山など、ありそうもない日羅の事績が南薩に残っているのはどうしてなのだろうか? また、古墳時代という遙かな古代に日羅が本当にやってきたのだろうか? さて、始めにこうしたことがこれまでの地域史でどのように考えられてきたのかを見てみ...
2013年6月17日月曜日
磯間嶽は遙かな古代から信仰された山か?——南薩と日羅(1)
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大浦町の南側は、磯間嶽という山が塞いでいる。磯間山とも言うし、もっと親しみを込めて「いそまどん」とも呼ばれる山である。 この山、標高は363mと低いながら巍巍とした威風ある山容を持ち、特に天を衝く山巓(さんてん)はあたかも鬼の頭のような異様な風体をなしている。 また、...
2013年6月6日木曜日
限界集落の「滅びの美学」
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今年初めに出された本を読んだ。 『 幸せに暮らす集落―鹿児島県土喰集落の人々と共に― 』。著者はジェフリー・S・アイリッシュさん。米国生まれのエリート、にもかかわらず甑島で漁師をした後に南九州市の川辺に移住したという破天荒な方である。 ヘビー級に変わっている著者のこと...
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2013年1月23日水曜日
謎だらけの行事:鬼火焚き
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1月20日、雨で延期になっていた「 鬼火焚き 」が行われた。 鬼火焚きは、全国的には「 どんど焼き 」などと呼ばれている小正月の行事の、九州西南部を中心にした呼び名。呼び方はともかく、 日本全国の田舎の風物詩 であろう。 この地域では80年前くらいまで鬼火焚きをしてい...
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2012年9月26日水曜日
島津家と修験道——大浦の宇留島家
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宇留島家の看経所 我が家から歩いて2分もしないところに、(今は空き屋だが)宇留島(うるしま)家という家があり、そこは 久志地権現 と言われ、看経所(かんきんじょ)が残っている。 この宇留島家というのは、この大浦の地で代々島津家に仕えた修験者(山伏)の家であった。鹿児島...
2012年6月13日水曜日
「大浦ふるさと館」はスモモの穴場?
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自家用のスモモが収穫時期だ。 スモモというと「酸桃」という字から連想されるように酸っぱいという印象を持つ人が多く、事実昔のスモモは酸っぱかったらしいが、近年の栽培種は 爽やかな甘さ で大変美味しい。 ただし、 スモモは非常に傷みやすい ため、商品として売る場合は完熟す...
2012年4月28日土曜日
南薩にツゲがたくさん植えられている理由
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畑の隣に植えられているツゲの木 家の周りでは、よく ツゲ (黄楊、柘植)の木を見る。庭木にも多いし、畑にも植えられている。このあたりでは、防風林として植えられるイヌマキに続いて多く植えられている木だと思う。 どうしてツゲの木が植えられているのか。それは、 ツゲの木は換...
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2012年4月10日火曜日
ひっそりと存在するタブノキの巨木
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近所になんとなく気になる場所があった。県道のすぐそばだが、ちょっとした土手の上に何かがあるような気がしたので、ある日思い切って行ってみると、そこにはとても大きな タブノキ (椨)があった。 外からは、こんな大木が隠れていようとは思いも寄らない場所である。堂々とした巨木が突然姿...
2012年1月14日土曜日
cafe & gallery poturiへ
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家族で、南さつま市加世田市街地にある cafe & gallery poturi へ行く。 poturiは、登録有形文化財になっている 旧鰺坂医院 という昭和初期の洋風建物を改装して営業している、おしゃれなカフェ。 店内にはこぢんまりとしたギャラリーが設けられ、定...
2012年1月11日水曜日
向江新一さんと笠沙町の名勝巡り
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今日は、知人の紹介で南さつま市笠沙町に住む 向江新一 さんを訪ねた。 向江さんは、関西で左官のお仕事をされていたが、10年前に故郷である笠沙町に戻ってこられ、代行業を営む傍ら地域興しに奮闘されている熱い方。 名刺には「鹿県関西総連合笠沙会名誉会長」「笠沙育成会会長」「現代...
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