確かに鹿児島の製品は、食品に限らずあか抜けないものが多い。先日このプロジェクトを企画した県の人の話を直接伺う機会があり、正直いうと最初はちょっと眉唾で聞いていたのだが、全く仰る通りな内容であった。ごく簡単に紹介すると、
- 鹿児島のこれまでの加工食品は、作れば売れるという安易な発想で作られたものが多かった。これまではそれでもある程度売れた。
- でもこれからは人口減少等で食品消費が落ち込んでいくので、これまで買ってくれていた(主に高齢の)消費者をアテにしていては危うい。都会の消費者に向けた商品が必要である。
- 今後の商品開発においては、商品のコンセプトを定め、マーケティングを行い、商品のターゲットを明確にして、試作を繰り返し、その上でコンセプトを見直し、それに沿ったパッケージと内容のデザインを行い、粘り強く営業をしていく必要がある。
- しかもその各段階において、社内だけで検討するのではなく、プロの力を借りたりモニターの意見を聞いたりするべきである。
- 内容を変えずパッケージだけを新しくする場合も、ただお洒落にしようということではなく、誰を新しい消費者と考えてそれを販売していくのか考え、消費者の目線でデザインを再考すること。
例えば、鹿児島の昔ながらのお菓子「げたんは」(九州の各県でいうところの「黒棒」)はもはや鹿児島の若い世代ではあまり食べられていない。その理由は、ベタベタしていて味が今っぽくない(甘すぎる)ということもあるし、一袋に食べきれないくらい入っていてしかも一つが大きいということもある。もちろんパッケージもあか抜けない。要するに消費者のことを余り考えていないように見える(ごめんなさい南海堂さん!)。
こういうちょっと残念な商品を見ると、経営を学んだような人は、「昔ながらの郷土菓子という知名度とブランドがあるのだから、食べやすい形態にして内容量を少なくして若者向けのデザインに変え、都会の人にアピールすればきっと売り上げが伸びるはずだ!」と考えるのも無理はないと思う。いや、私自身が真っ先にそういうことを言いそうなキャラである。
でもそう言いたくなるところをぐっと我慢して、敢えて「鹿児島の食とデザイン」の思想にささやかながら異議を申し立ててみようと思う。私はこう見えて天の邪鬼(あまのじゃく)なのだ。
・・・・・・さて、話が随分飛ぶが、元禄時代に書かれた『茶話指月集』という本に、千利休の逸話が載せられている。こういうものだ。
森口(京都と大阪の間)というところに一人の佗び茶人があると聞きつけて、利休はいつか伺いますと約束していた。
ある冬の夜更け、利休は用事で京都に行くついでにその人を突然訪問した。亭主は喜んで利休を出迎え、利休もその侘びた佇まいに好感を持った。主人は(急な訪問だから十分なものがないからということで)庭にあった柚を取ってきて柚味噌をしつらえた。
利休はこの「侘びのもてなし」を大層喜んで、共に酒を傾けたが、次に主人は「大阪から取り寄せました」と言って上等なカマボコを出したので、利休は「さては誰かが私が来ると知らせて準備していたのだろう。ということは先ほどの対応はわざとだったか」と興ざめて、主人が引き留めるのも聞かずさっさと帰ってしまった。この話は「されば、侘びては、有り合わせたりとも、にげなき物は出さぬがよきなり(
侘び茶においては、有り合わせはよいが、似つかわしくないものは出さない方がよい)」と結ばれている。 確かに侘び茶の世界に「上等なカマボコ」は似合わない。でもなぜ似合わないんだろうか?
「侘び茶」というのは、元来の意味は「社会的地位が低い、貧乏茶人の茶の湯」ということだったらしく、次第に「世俗的な世界から抜け出し、清浄な境地で楽しむ簡素で精神的な茶の湯」というような意味になってきた。でも私なりに言えば、「侘び」というのは「侘びる」という言葉があるように、「こんなものしかなくてすいません」という申し訳なく思う心を表すもので、それに対して客が「いえいえ、贅沢なものよりも、心ばかりの持てなしが一番有り難いんですよ」と応えるものが「侘び茶」であると思う。
それなのに、「これは大阪から取り寄せた高級カマボコです! どうでしょう、美味いですよね!」みたいな態度が出たから、利休は興ざめて帰ってしまったんだと思う。それは全然「侘び」ていないのである。
贅沢というものは、量的なものから質的なものへ、外面的なものから精神的なものへとだんだん発展していくものである。「侘び茶」はこの贅沢の最終段階に位置していて、一見簡素で貧乏風の茶の湯であるが、その内実は最高度に贅を尽くしたものである。高級カマボコよりも、その場でしつらえた柚味噌の方が実は遙かに有り難いものだという認識がここにある。
利休自身は大・大・大金持ちで、秀吉に取り立てられ社会的な身分も非常に高かった。そういう人が、「こんなものしかなくてすいません」という境地に至るためには、自然とお金では手に入れられない価値を至高のものとして追求する姿勢にならざるを得ない。使う道具一つとっても、吟味に吟味を重ね、そこに金では買えない精神性があるか——、というギリギリの美意識の勝負になる。そうでなくては、大金持ちが「こんなものしかなくてすいません」といってもまるっきり嘘っぱちになる。そういう利休だったから、亭主が出したカマボコ、というよりカマボコを出す亭主の態度には我慢がならなかった。
話を戻して鹿児島の郷土菓子というものは、先ほどの贅沢の発展段階でいえばまだ「量的なもの」の段階に位置しており、「げたんは」などは「大きければ大きい方がよい。甘ければ甘い方がよい」みたいな部分がある。「鹿児島の食とデザイン」は、これを「質的なものへ(味を洗練させよう)」「外面的なものへ(パッケージをおしゃれに)」という方向へ導くものだと言えよう。当然の流れである。
しかし、私自身、最近作られたしゃれた加工品を見ると、あまり触手が伸びないことが多い。もちろん、おしゃれなパッケージは好ましいし、興味も湧く。新しい取組をしていること自体に好感も持つ。というより、「南薩の田舎暮らし」自身がそういう方向性で商品を作っている。でもなぜか、桜井製菓の「アイスキャンデー」(冒頭写真)とか、とも屋の「マドレーヌ」とか、そういうちょっとあか抜けない商品の方に心が惹かれる自分がいる。
そして、「こんなものしかなくてすいません」という気持ちでお客に出すのなら、今のままで十分に魅力的なものが田舎には溢れている。大浦ふるさとくじら館で売っているふくれ菓子の「福麗女房(フクレカカ)」なんか、田んぼのあぜ道で食べるものとしては最高に美味しい。 鹿児島の各地で売ってる「かからん団子」なんか私は大好きである。でもそういうものを、都会から来たお客に「鹿児島の郷土菓子は美味しいでしょう!?」という自慢げな態度で出したらやっぱり興ざめするような気がする。こういうものは「こんなものしかなくてすいません」という調子で出されると、「意外と美味しいじゃん!」となるものだ。そんなもの態度の問題じゃないか、と思うかもしれないが、そこにものの価値の本質があると私は思う。
そして一方で、都市部には既におしゃれで機能的な製品が溢れている。消費者のことをよく考えた、練りに練られた商品がよりどりみどりである。「鹿児島の食とデザイン」は、鹿児島ローカルな食品企業もこうした商品と同じ土俵で勝負して行きなさいという叱咤激励でもあるだろう。
でも本当に、そういうものと同じ土俵で勝負していいんだろうか? ここはせっかく日本の端っこなのに、都市部と同じ「消費社会」の論理で動いて「商品」を作っていいんだろうか? 私はそれが、利休が嫌悪した「上等なカマボコ」を作る方向に行くのではないかと危惧する。ここにはせっかく最高級の贅沢である「柚味噌」を作る環境があるというのに。
利休が「上等なカマボコ」で興ざめたのは、本質的には「上等なカマボコ」が金さえ出せば手に入るものだからだろう。一方、庭に生えていた柚子で作る柚味噌は、柚子のシーズンにしか出来ないもので、季節外れだったら千金を積んでも作ることはできない。そういう「その場、その時」でないとできないもてなしだったから、利休は最初それに喜んだ。それが消費社会における「商品」ではなかったから、最高級の贅沢になりえたのである。
私が「鹿児島の食とデザイン」に僅かに危惧するのは、それが都会の消費社会に迎合するものだからである。だいたい、田舎で売られている魅力ある商品というものは、そもそも消費社会とは違う論理で作られた部分にその良さがあるのではないかと思う。デザインだけに限っても、何十年も変わらない、今風でないちょっとネジが緩んだようなパッケージなんかを見ると、ほっこりした気分になるのは私だけではないはずだ。そういうのこそ、都会では既に絶滅してしまってもう目にすることができない貴重なデザインで、それを今風デザインに変えることは、短期的には売り上げが伸びるかもしれないが、そのかけがえのない部分を自ら捨て去ってしまうことになりそうな気がする。
でもだからといって、ローカル企業はこれまで通りやっていればよいわけでもない。 事実郷土菓子の売り上げが落ちているとするなら、それで生きている企業はやはり何らかの手を打たなければならないからだ。問題は、売り上げを挽回させようとするとき、消費社会の論理で動くMBA(経営学修士号)式のやり方で、本当に田舎ならではの価値を生み出せるのかということだ。
(つづく)
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