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2015年11月22日日曜日

「場の活性化」の秘訣

前回の記事で、私は「地域活性化をするよりも、自分がやりたいことをやった方が結果的に地域活性化になる」ということを述べた。

でもこれにはいろいろ反論があるだろう。自分のやりたいことといっても、読書や映画鑑賞のようなものもあるし、極端に言えばぐうたら寝ていたいというのだってあるわけだ。そういうことをやっても、地域活性化に繋がるのか? と。私はそういうものであっても、それをのびのびとできるなら結果的には地域活性化になると信じるが、ちょっと迂遠な感じがするのは否めない。さびれた商店街を何とかしたい、というようなことを考えている人たちにとって、「自分がやりたいことをやりましょう」というのはあまりに悠長なアドバイスだ。また、「私のやりたいことは、まさに地域活性化なんだよ!」というアツい人もいると思う。こういう場合どうしたらよいのか。

時々、地域活性化講座みたいなものがあって、こういう熱心な人たちにいろいろアドバイスしているが、どうも私から見ると正鵠を射ていないものが多い。地域資源を発掘して、それを売り込んでいくためのマーケティングをして戦略を作るとか、そういう軽薄なアドバイスは特に最悪である。

断言するが、地域活性化に「マーケティング」も「戦略」もいらない。

鹿児島市役所のそばに「レトロフト チトセ」という古いビルがある。ここは古本屋やカフェ、気軽なレストランなどがあって私のお気に入りの場所である。遠目に見ると灰色の古いビルだが、中は随分と活気があり、いつも様々な新しい企みがなされていて楽しい。

でもこのビルは、数年前まで文字通り古い雑居ビルで、特にどうということもない場所だったようだ。今のように活気ある場所になったいきさつは詳しくは知らないが、最初から、こういう戦略や青写真があってレトロフトは今のような場所になったんだろうか。どうもそうではないように見える。

これは「戦略」に基づいて場の活性化がなされたというより、リフォームを行ったことを契機として、面白いことを考える人たちがどんどん集まってきて新しい企画が実現し、それに惹かれてやってきた人たちがまた新しい風を入れるという具合に、「人とアイデアの好循環」が生まれた結果ではないか。私が最初にここを訪れたのは2013年で、それからの動きを横目に見ているとそのように感じる。

もちろん、オーナー夫妻の感性も活性化にはすごく重要だったろう。でもそれだけでは、この数年で急にビルに活気が出てきたことの説明が難しい。 やはり運営上の変化があったと考えるべきで、それはリフォームによる外面的な変化もあるが、むしろ人とアイデアを受け入れる「開かれた態度」になったことではなかっただろうか。

場の活性化に成功している他の例を見ても、このことは共通している。その「場」には「人とアイデア」を受け入れる「余白」と「開かれた態度」がまず準備される。すると面白い人が集まってきてやいのやいの騒ぎ出す。楽しい企画が実現し、それに惹かれてまた人が集まってくる。これが活性化のいつものパターンである。そこに場をまとめるためのリーダーシップやセンスは必ずしもいらない。ただし、そういうものがあれば、その活動が長続きし、また高水準の成果を生みやすいということは言える。

そして、こういう活性化が起こるためには、「戦略」はほとんど役立たない。「戦略」に沿って物事を進めるよりも、思いもよらないアイデアをドンドン受け入れていくことこそ必要で、そういう態度であり続けようとするなら、結局「戦略」は無意味になっていく。というより、最初に思い描いていた「戦略」から離れていくことが活性化の証左ともいうべきで、それは人生のドラマのように、私たちを予定調和よりももっと面白い展開へと連れて行ってくれる。

ローカルな事例で申し訳ないが、大浦にある「有木青年隊」もこういう活動の成功例である。有木青年隊は、集落の普通の青年団のように「何歳から何歳までが自動的に所属する」という団体ではなく、やりたい若者が(もちろん女性でも)誰でも入れる。そこに集落の限定もなく、今では集落外に住んでいるメンバーの方が多いくらいじゃないかと思う。

有木青年隊の沿革もよく知らないが、十五夜祭りを盛り上げる活動の一つとして緩く始まり、飲ん方(ノンカタ=宴会)をしているうちに「こうしてみよう、ああしてみよう」と盛り上がり、十五夜祭りから飛び出して、「大浦 “ZIRA ZIRA“ FES」という一大イベントを実行するようにもなった。今では大浦町の顔の一つだ。

この活動も最初から青写真があったというより、若者に自由にやらせようという集落の「開かれた態度」があり、そこにうまく若者たちが集結し「人とアイデアの好循環」が起こった結果に見える。ついでにいうと、「はっちゃける」ことを肯定して、若者のエネルギーの発散を「黙認」ではなく「承認」された行動にしたことも大きい。

一方で、有木青年隊は「何歳から何歳までが自動的に所属する」という団体ではないから、やりたい人がいなければ消滅してしまう。人によっては、そんなんじゃ継続性がない! と不満に思う人もいるだろう。やっぱり婦人会とか青年団とかカッチリした枠組みで継続性がある活動をするほうが確実だ、という意見である。でもつまらない活動が長続きするより、いっときでも面白いことが起こる方がずっといい

行政による地域活性化の支援などでも「継続性」が条件になっていることが多いが、私からすると継続性などと言ってる時点でつまらないことをしている自覚があるというもので、面白かったら自然に続くし、逆にやってみて面白くなかったらさっさと辞めた方がいい。最初から継続することを条件にするのは愚策である。

ともかく、地域活性化——よりも、私は「場の活性化」と言うべきだと思っているが——をしたいなら、そのための「戦略」を練って何をすべきか考えるよりも、若者のエネルギーを形にできるような「余白」と「開かれた態度」を持つべきである。レトロフトの素晴らしいところは、リフォームの際にこのことを十分にわきまえていたことで(想像です)、たった4㎡のテナントを作って、気軽に小さなビジネスを始められる場を設けたり、人の行き来が活発になるように動線を綿密に計算している点である。

若者は、常に自分の魂が承認される場所を求めている。行き場のないエネルギーを抱えている。そのエネルギーが肯定され、思い描いたことを実現できるフィールドを欲しがっている。場の活性化をしたいなら、まず彼・彼女が存在できる「余白」を設けよう。そして若者がそこに入りやすいように、「開かれた態度」を身につけよう。そうすれば、人は自然と集まってくる。なぜなら、そういう場所は常に不足しているからだ。そんな場ができれば、自然と「人とアイデアの好循環」が起こり、もうそうなったら仕掛け人その人でさえコントロールできないようなステキな物語がたくさん生まれてくるのである。

こういう活性化なら、私は大歓迎である。

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