かぼちゃは、何のために実るのだろうか?
次世代を残すためでしょ? と思うかもしれないが、ちょっと他の植物のことを考えてみよう。植物が実るのは何のためなのか。
例えばイモ類。イモ類が土の中に丸いイモを作るのは、数ヶ月後の次のシーズンまで生き残るためのタイムカプセルのようなものである。
例えば果樹類。多くの果樹は元々は鳥や動物に食べられてフンとして排出してもらうためで、自分では移動できない植物の移動手段になっている。
もちろんこのように単純には分からない植物も多い。人間が植物を栽培し始めてから約1万年も経っているので野生の形質がほとんど残っていない植物もある。例えばトウガラシなんかは何のために実るのか私にもよくわからない。あれを食べる動物はいないと思うが…。
で、かぼちゃである。かぼちゃの実は何のために成るんだろうか? 正確に言えば、かぼちゃの原種はどのような生存戦略の下で実をならせていたのだろうか?
かぼちゃが栽培植物化されたのはメソアメリカ(メキシコあたり)で、約1万年も前のことである。実はかぼちゃは最古期から栽培されている植物の一つなのだ。
この頃のかぼちゃ原種(正確にはペポカボチャの原種)の果肉は食べられなかったらしい。では何のためにこれを古代人は育てたのかというと、かぼちゃの種を食べていたのだ。そう、かぼちゃは元々種を食べる野菜だった。それから果皮を乾燥させて容れ物にしていた。今で言う瓢箪みたいなものらしい。オルメカ文明やアステカ文明の遺物には、かぼちゃ型の土器や石器が存在するが、これはかぼちゃを容れ物に使っていたことの象徴である。
話を戻すと、要するに、元々かぼちゃというのは果肉は食べられないものだった。
で、ここからは私の推測なのだが、かぼちゃの実は動物に食べられるためではなく、種が発芽する際の栄養パックとして存在したのではないだろうか。つまりかぼちゃの果肉は「肥料」だということだ。
実はかぼちゃというのは大変に肥料分を必要とする。普通の野菜というのは、最初はちょっと痩せたところで発芽させて徐々に追肥していく方が調子がいいように思うのだが、かぼちゃの場合はたくさんの元肥(特に有機質肥料)をあげて肥満気味に育てるのがよいようである。これは野生の頃から変わっていない性質なのかもしれず、そのために肥料分がぎっしり詰まった果肉が存在したのだろう。
つまり、かぼちゃの果肉は腐って肥料になるために存在しており、元々(動物にも!)食べられるものではなかったのかもしれないということだ。そういえばかぼちゃ類は腐ると悪臭を放ち、大抵の動物は寄りつかないがこれは種を食害から保護するための策なのかもしれない。
いつの頃にかぼちゃの果肉が美味しくなるという突然変異が起こったのかはよくわからない。かぼちゃの系統関係というのも、意外と錯綜としていて不明である。日本ではかぼちゃは「西洋カボチャ」「日本カボチャ」「ペポカボチャ」の3つに大きく分かれると書いている資料が多いがこれは日本独自の分類(!)で、英語資料ではこういう分類は見たことがない。
といっても英語圏でも系統的にかぼちゃが分類されているわけではなく、古い古い栽培植物だからその遺伝関係はもうわけがわらからなくなっているのかもしれない。ただ慣用的には、summer squash, winter squash の大きく2つに分けて認識されており、日本で言うセイヨウカボチャは winter squash の acorn squash に当たるようである(これは誰も言っていないようなので間違いかもしれませんが)。
こんな風に、「かぼちゃは何のために実るのか」などということを考えても農業そのものにはあまり役に立たないが、農作業をしながらこういう無駄なことを考えるというのも農業の醍醐味かもしれない。
※冒頭画像はこちらのサイトからお借りしました。→ The Olmec Effigy Vessels
【参考文献】
"The Initial Domestication of Cucurbita pepo in the Americas 10,000 Years Ago" 1997 Bruce D. Smith
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