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2015年6月5日金曜日

「メガ農協」と日本の農協——農協小考(その3)

オレンジジュースで有名な「サンキスト」のブランドを所有する「サンキスト・グローワーズ」は、実は普通の意味での企業ではなく「農協」である。農協が「サンキスト」のような強力なブランドを持っていることは、日本の農協のイメージからはちょっと信じられない。

ヨーロッパにもこういう「メガ農協」はある。例えばオランダの巨大乳業メーカーであるフリースランド・カンピーナ(日本ではフリコチーズで知られる)は、そのものは農協ではないが同名の農協が所有する企業で、10億ユーロ以上の売り上げと2万人の従業員がおり、その農協にはオランダ、ベルギー、デンマークに約2万人の組合員がいる。

ヨーロッパには村落単位の小さな農協もあるが、こうしたメガ農協もたくさんあって、近年は特に国際的な合併が盛んになってきて農協が巨大化・国際化していく傾向があるという。

さて、こうした農協は日本で言うところの「専門農協」であり、例えばサンキストは柑橘専門の農協だし、フリースランド・カンピーナは酪農の農協である。当然、日本の農協のように共済や信用事業(銀行)を兼業しているわけではない。一方日本では、農産物の流通の赤字(あるいは低利益)を金融部門の利益で補填している収益構造があり、それは農産物の流通が利幅の小さい事業であることからやむを得ないことと見なされている。しかし海外の農協では農産物の流通のみで立派に経営が成り立っているのである。どうして海外の農協は農産物の流通のみで利益を出すことができるのだろうか?

既に述べたように、欧州においても農協はその黎明期には金融や肥料の購買、農産物の流通などさまざま事業を兼業する「総合農協」として構想された。「ドイツ農協運動の父」と呼ばれるライファイゼンは、農協の単位をカトリック教会の教区として企画し、農協の根底に信仰の共同体を据えていた。カトリックの教区というのは全員が顔見知りであり、宗教儀礼だけでなく村落生活全般にわたる連帯意識があった。そういうわけだったから、当初借金組合として出発したライファイゼンの農協は、生活協同の組合として農業経営全般へと取り扱いを総合化していく素地があったのである。

ところが、時代が進むにつれドイツの農協の事業は整理され、やがて専門農協へと分化していく。例えば、1960年の時点ではドイツの協同組合銀行(日本でいうJAバンク)が農産物の流通や資材の購買を兼業している割合は76%だったが、2004年にはそれが19%に低下している。

なぜこのように専門へと分化していく動きが起こったのだろうか。実はドイツでも、農産物の流通などより金融部門の方が利益率がよかった、という事情があるようである。ということは、日本と同じく「農産物の流通の赤字を金融部門の利益で補填」というような構造があったのかもしれない。だが農協の合併などを期に、不採算部門をより広域の専門農協に売却するということが相次いで、結果として専門農協化が推し進められたらしい。

考えてみれば、協同組合というものは、利害を共有する人間によって構成されていなければ上手く経営できないものである。畜産農家と野菜農家は、同じ地域に住んでいてもあまり利害を共有しておらず、同じ組織でいるメリットは小さい。それよりも、違う地域でも畜産農家同士、野菜農家同士の方が同じ目標や経営課題を共有し、同じ施設設備を必要とする。だから、「地域に根ざした」組合よりも、業種ごとの組合の方が効率的に経営できるはずだ。そういうことから、ドイツでは村落ごとにあった「総合農協」が解体され、次第に地域を越えた「専門農協」へと整理されてきたのであろう。

そして、専門農協化することにより経営を効率化・高度化して農産物の流通だけで利益を出していくことができるようになったのだと思う。

ではなぜ日本では同じような動きがなかったのだろうか。専門農協化が農協にとっての唯一の冴えたやり方だとも思わないが、専門農協は世界的な主流となっていて日本のような総合農協は日本・韓国・台湾だけのトレンドだ。日本で専門農協へと再編していく動きはどうして存在しなかったのか。

一つは、日本の農業は明治から昭和半ばまでの長い期間、米も作れば野菜もつくる、牛も飼えば茶も育てるといった零細複合経営が主流で作物毎の専門農家があまり存在しなかったということが理由として挙げられる。だがこれはヨーロッパなどでも同じことで、有畜複合経営(家畜、穀物、野菜などを組み合わせる農業)はかつてのヨーロッパ農業の特色でもある。現代のこういう農家はヨーロッパでは複数の専門農協に加入している。だからこれはあまり説得的ではない。

もっと本質的な理由は、日本では農協が「農政の実行機関」と位置づけられて国家によってその形が定められ、自由な経営が行われなかったからである。やや過激な表現を使えば、農協は国家による農村支配の道具だった。このため、かつての全戸加入の強制や、市町村・都道府県・国という行政の3段階に対応した系統3段階制といった世界に類を見ない行政との相即不離の仕組みとなっていた。農村はこうした管理機構を受け入れる代わりに、特に米作において手厚い保護を受けることができたのである。


だが協同組合の本質は組合員の自主・自律性にある。共同組合とは、利用するもの、出資するもの、管理するものが一体であるという、究極の自律的組織である。そしてその根底には、組合員の連帯意識が必要である。かつてそれは村落の仲間だったのかもしれないが、連帯意識の範囲は時代に応じて移っていくものであり、地域が限定されていること自体が協同組合の理念に反すると思う。

日本の農協の歴史を紐解けば、その歴史はほとんど農政史そのものと変わらないものであって、常に上(国家)からの指示によって動かされてきた。そのため、本来は民主的組織であるはずの農協が、今の時代にあっても「組合員の意見を集約して経営する」という形になっておらず、そのための仕組みも未整備なところが多い。そしてそれ以上に、組合員自身が「農協は自分たちが経営するもの」との意識を持っておらず、農協に対して他人事的になってしまっている。

現在の農協改革も、これまでの歴史と全く同じく、上からの指示のみによって動かされている。下(組合員)からの発意がないのだからしょうがない、というのも一理ある。しかしこの調子だと、日本の農協は真の意味での協同組合にならないままではないか。

農家は農協に何を求めるのか。何を提供し何を得るのか。どのような仲間と一緒にやっていくのか。農家は、どのような存在になっていきたいのか。そういった根本を見つめないままに弥縫的に改革をしても絶対にうまくいかない。

もちろん、農協にはこれまで辿ってきた歴史があり、地域単位の総合農協という現状がある。それを無視して、ヨーロッパ流の専門農協に変えようとしてもいきなりは無理だしそれが本当に日本に合っているかもわからない。一度全部壊して新しく造ろうとするやり方もまた危険なものであり、変えられるところから地道に改善していく下からの努力が必要だ。

例えば、部会活動(農協では、果樹部会、園芸部会など部会に分かれて出荷・販促・技術向上などが図られている)をより実質化するような地味なことが、引いては農協の改善に繋がっていくように思う。世界では「メガ農協」が誕生しているからといって日本の農協も徒に大規模化を目指す必要はないし、むしろ部会のような小さな単位に注目することが有益ではないか。組合員が連帯意識をもち、当事者意識を持てる範囲での活動を実質化して、農協本体はそれを支えるインフラ化していくのが一つのあり方ではないかと思う。

【参考文献】
独仏協同組合の組合員制度」2006年、斉藤由理子
Agricultural cooperatives in Europe - main issues and trends" 2010, cogeca
農協のかたち」(農業協同組合新聞の連載記事)2013年、太田原高昭

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