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2015年4月15日水曜日

無投票当選に想う(その1)

先日の統一地方選挙は、その結果はともかく非常に低い投票率が気になった。そしてもっと気になったのは、無投票当選の多さだ。私の住む南さつま選挙区でも無投票当選となってしまい選挙がなかったのは本当に残念だった。

議会の正統性の唯一の根拠は、「選挙によって選ばれた」議員にあるのだから、無投票当選が多くなってしまうことは、議会の正統性そのものを揺るがす事態である。

無投票当選が多いということは、単純には立候補者が少ないということである。また、投票率の低迷は地方議会への関心の低下を表している。人びとの関心が低いから立候補する人も少ないのだろう。ではどうして地方議会への関心は低下しているのだろうか?

私はその要因の一つに、議員と地域の関係性が変わってきていることがあると思う。

例えば、一昔前の県議会議員といえば「地域の利害を代弁する」という性格が強かった。特に、道路整備とか、港湾改修、県の重要施設の誘致など、公共土木事業の平等配分を実現するのが選挙区の県議会議員の重要な役目と思われていた。

もちろん今でもそういう性格はある(特に地元の土建業者との関係においては)。しかし一般の人は道路・河川・港湾等の整備は一巡したと感じており、もはやそれは重要政策だと考えていない。

そして公共土木工事以外の面でも、地域の実情はどこも驚くほど似てきている。もちろん鹿児島市中心部の抱えている課題と、我々の住んでいるような僻地の農村の課題は異なる。だが例えば僻地の農村の抱えている課題は、どこの地区であってもだいたい同じようなものである。

そういう観点でいうと、鹿児島ではだいたい5つの「地域類型」がある。すなわち(1)鹿児島市中心地域、(2)郊外(住宅街)、(3)地方小都市(鹿屋市、川内市など)、(4)農山漁村(大浦町など)、(5)離島、である。

これら5つの「地域類型」は地理的には散在しているが、地域ごとにその内実はかなり似通っている。我々が県議会議員に代弁してほしいと思っているのは、「ある特定地域の利害」というより、その居住地の属する類型での課題であろう。

そしてさらには、県議会議員に期待するのは、そういう類型を超えた、全県を見据えた政策課題への議論である。例えば前期議会では「上海線存続のための県職員派遣問題」が噴出した。また、さほど議論にはならなかったが原発再稼働問題もあった。そういう難しい政策課題に対して「地域の利害」を超えて真摯に審議してもらいたいというのが今の有権者の考え方のような気がする。

要は、「地域の利害の代弁」みたいな低レベルなことではなく、聞き応えのある政策議論をやってもらいたいというのが有権者の気持ちなのではないか。

しかし未だに選挙運動では「地域の皆さんの声を県政に反映させます!」みたいなことが叫ばれている。それは無意味ではないと思うが、予算のイス取りゲーム的な状況がなくなってしまった現在、時代遅れのメッセージだ。

政策議論を期待するならば、そういうことではなく、むしろ政治的立場の表明こそ全面に出すべきだ。福祉を充実させるのか、財政健全化を優先させるのか。統合・一律化を進めるのか、分化・多様化を進めるのか。再配分を重視するのか、それとも競争的環境を目指すのか、といったようなことである。

こうしたことは、個別の政策課題を語るだけでは決して出てこない軸である。なぜなら、福祉、教育、産業政策、少子化対策、弱者支援などなど、多くの政策課題について政治家が言うべきセリフはほぼ決まっていて、他の候補者と立場の差が出てくるところはほとんどないからである(××は重要です! というに決まっている)。

つまり、有権者が見極めるべき候補者の「政治的立場」は現在の選挙ではほとんど語られていない。そういうセンシティブな立場の表明をあえてしなくても、現在の選挙運動では特に問題にならないので当然のことである。

このように、「地域の利害」代弁の重要性が低下する一方、政策課題への政治的立場が重要になってきたのが最近の地方議員への眼差しの変化だとすると、無投票当選や投票率低迷の背景にある問題は、選挙区割りが時代と合わなくなってきているということなのではないかと思う。

「南さつま市」みたいな小さな単位が選挙区になって、そこから一人の議員を輩出するというのは、もはや生活圏の実態とも合っていない。南さつま市に住んでいても鹿児島市に通勤・通学している人もいるし、買い物や余暇を都市部で過ごす人は多い。

しかも、例えば自分は都市部に住んでいても高齢の父母は農村に住んでいるとか、我々はある「地域類型」の中だけで人生を完結させているわけでもない。

だから「南さつま市」のような狭い範囲ではなく、「南薩」くらいの広さの選挙区から議員を選ぶべきだと思う。そうすれば、立候補者の数は変わらなくても無投票にならないのではないか。

私が思う理想の選挙区割りは県の出先機関(いわゆる「地域振興局」)の単位を元にしたものである(県政の実質的な単位がそれだから)。県の出先機関も昔は各地域にあったがそれがどんどん統合されてきたわけで、それと歩調を合わせて選挙区も統合するべきだ。

しかしそうするとすれば、タダでさえ大変な選挙活動が、候補者にとってはもっと大変なものになる。かなり広い地域を短い時間で回らなくてはならなくなり、実質的な演説がほとんどなくなってしまう。そうなってしまうと本末顚倒だから、ちょっと選挙制度の工夫が必要だろう。

(つづく)

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