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2015年2月12日木曜日

「加世田かぼちゃ」の30年

今、ちょっとワケあって「加世田のかぼちゃ」の歴史を調べている。歴史といってもたかだが30年とちょっとのことだ。

それで、2012年が「かごしまブランド」に指定されてから20年ということで記念大会が開催されており、その冊子を貸してもらって見てみた。その冊子にはこれまでの歩みということで試作が始まった1976年からの主な出来事がまとめられており、大変参考になった。

その歴史を簡単に述べると、「栽培が始まった頃は天候にも恵まれ豊作が続き順調に生産量が拡大したが、次第に天候不良や疫病の発生に見舞われるようになり、近年では不作が常態化するようになった」とまとめられる。

ちょっと趣味的になるが、その様子を下のような表に整理してみた。「主な出来事」の欄を眺めているだけでもなんとなく風向きが悪くなってきている様子が感じられるが、よりわかりやすいのは「生産性」の欄である。

「生産性」は、便宜的に出荷量を作付面積で割ったものである。これは正確な単位面積当たりの収穫量とは異なる。なぜなら、作付面積も出荷量も、本来は春作と秋作それぞれの計算が必要だからである。しかし便宜的な合算でも、その年の雰囲気を摑むことはできるだろう。

そして「生産性」の欄には、これまた便宜的に、〜15:赤色、15〜20:黄色、20〜:水色、と色をつけてみた。年を経るにつれて赤色が多くなっていることが一目瞭然である。というか最近は赤色しかない。

「加世田のかぼちゃ」のあゆみ

主な出来事 作付面積(ha) 出荷量(t) 生産性
1976年 春かぼちゃ試作      
1977年 春かぼちゃ本格的栽培開始
秋かぼちゃ試作
3 75 25.0
1978年 秋かぼちゃ本格的栽培開始 9 153 17.0
1979年 台風による被害 14 184 13.1
1980年   30 487 16.2
1981年   50 1160 23.2
1982年 晩霜による大被害 84 1820 21.7
1983年 台風による被害、疫病大発生 88.8 1195 13.5
1984年   100.8 2220 22.0
1985年   92.5 2110 22.8
1986年   95.1 2300 24.2
1987年   103 2212 21.5
1988年   124.5 2498 20.1
1989年 安定生産 111.5 2277 20.4
1990年 台風による被害 107 1988 18.6
1991年 かごしまブランド産地指定
秋かぼちゃ台風被害により収穫皆無
116 1747 15.1
1992年 朝日農業賞受賞 93 2298 24.7
1993年 晩霜による被害
記録的長雨による2番果着果不良
MBC賞受賞
107.7 1915 17.8
1994年 春先の低温、日照不足で生育遅れ
輸入かぼちゃとの競合で価格低迷
105.3 2106 20.0
1995年   92.1 1564 17.0
1996年 かぼちゃサミットを開催 95.1 1818 19.1
1997年 天候不良による減収 104.2 1669 16.0
1998年 春かぼちゃ、天候不良による減収 102.2 1505 14.7
1999年 天候不良、台風による減収 79.1 1222 15.4
2000年 春かぼちゃ疫病が大発生 73.3 1092 14.9
2001年 単価安
産地指定10周年記念大会開催
70.8 1194 16.9
2002年 天候不良や疫病による減収 67.6 1097 16.2
2003年 天候不良や疫病による減収 75.2 1295 17.2
2004年 台風被害による大幅な減収 76.7 918 12.0
2005年 台風被害による大幅な減収 70.5 1068 15.1
2006年 春かぼちゃ天候不良による品質低下
秋かぼちゃ豊作
68.7 946 13.8
2007年 天候不良による減収 71.2 1025 14.4
2008年 天候不良による減収 70.6 795 11.3
2009年 天候不良による減収 72.5 964 13.3
2010年 天候不良や疫病による減収 74.7 801 10.7
2011年 天候不良による減収 72.9 724 9.9

このように見てみると「加世田のかぼちゃ」が次第に衰微しつつある様が見て取れ、生産者として薄ら寒い気持ちになるのだが、本当に危機感を抱くべきなのは不作が続いていることよりもむしろ、近年の「産地としての動きのなさ」かもしれない。

というのは、順調な栽培が続いた”青色の時代”を経て「かごしまブランド」の産地指定を受け、その後”黄色の時代”にも「朝日農業賞」「MBC賞」を受賞したり「かぼちゃサミット」を開催したりといった動きがあった。もしかしたら積極的に行ったものではないのかもしれないが、結果的にブランドの認知を挙げ、産地が一丸となる方向ができたのではないかと思う。

しかし、それに続く”赤色の時代“には、そういった動きが全くない。おそらく、天候不良に苦しんで思うように結果が出ないため萎縮し、積極的な手を打つことができなかったのだろう。 天候不良というのは如何ともしがたいので、生産量の低迷などはしょうがない。だがだからこそ、産地として埋没しないようにする努力をしなければジリ貧になっていくのではないだろうか。

私は「加世田かぼちゃ」の歴史を振り返るにあたり、「なんだかんだ言っても20年以上の積み重ねがあるわけだから、それなりにいろんな取り組みがあったのでは?」と思っていた。が、これまでの所、取り組みは栽培技術の面に限られているように見える。

栽培技術の進歩は重要だが、ブランドだってただ自称しているだけではその真価は発揮されない。実直に生産するだけでなくて、産地として前向きに動く姿勢を見せ、新たな市場を開拓していくきっかけづくりをしていく努力が必要だと思う。微力ながら、私も一生産者としてそれに取り組んでいきたい。

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