先日、POP(店先に掲げる宣伝カード)の描き方の研修会に参加した。
研修会の内容のことはともかく、とても気になったのはPOP文字そのものである。
POP一筋31年というとんでもない講師の指導によれば、POP文字というのは、「①四角の中いっぱいに、②タテ線、ヨコ線はまっすぐに、③線で囲まれるところは強調(「ほ」の右下の丸の部分を大きく書く、など)、④書き始めから終わりまで同じペースで終わりはハネない、⑤できるだけ簡略してもよい」というように書くものらしい。
これを素直に守ると画像のような文字になるが、私からするとちょっと品がない字のように見えてしまう。この文字が書いてあるとすぐにPOPだと分かるとはいえ、どうしてこんな文字を書かなくてはならないのだろうか。ぱっと見では、普通に書いた方が断然にきれいな文字ではなかろうか。
POP文字の場合、普段の字のきれいきたないに関わらずほとんどの人が同じような文字を書けるようになる利点があるらしいので、そこは認めるにしても、あえて品のない文字の書き方を指導されているようで腑に落ちない。
ところで話が随分飛ぶようだが、文字の書体というものは幾度となく変転してきた。甲骨文、金文、篆書、隷書、草書、行書、楷書、明朝体、ゴシック体、などなど。こうした書体はどうして変転していったかいうと、主に筆記用具と書く目的が変化していったことによる。例えば篆書から隷書、草書へと変化していくのは、筆の普及が大きく関係している。
これは現代においても変わらない。石川九楊という書家が考察しているが、女の子が書く丸文字が生まれたわけも筆記具の変化によるらしい。元々漢字もひらがなも、縦方向に繋がっていく性質がある。ところが、大学ノートなどは横書きなので、筆記の際に縦に繋がろうとする力に抵抗しなくてはならない。そこで、一文字一文字を分断させて完結させ、まとまりよく見せようとすると自然に丸っこい文字になるという。さらには、ボールペンまたはシャープペンシルという細字に適した筆記具と、行内に文字を小さく書く必要があることからこの傾向が加速され、丸文字が生まれたらしい。
POP文字が生まれたのも同じ視点から考えられる。これは、太いペンを使って遠くからの視認性をよくし、横書きで収まりよく書こうとした結果として生まれた文字なのだろう。考えてみると同様の目的をもった映画の字幕文字と字形が非常に似ている。
そういうわけで、あまり上品とは言えないPOP文字にも、ある程度の合理性はありそうである。ただ、写植の普及で字幕文字がかなり減ったところを見ると(※)、この文字が素晴らしいから使われているというよりも、手軽な次善の策として普及しているのかもしれない。
一方で、講師の先生によると、この文字をちゃんと使ってPOPを作るだけで売り上げが違ってくるというから、POP文字には視認性だけでなく、購買意欲に繋がる秘密もあるのかもしれない。なによりPOP一筋31年というキャリアを積んできた講師の存在自体がPOP文字の必要性を物語っている。
とはいうものの私自身の好みとして、習ったPOP文字はそのままでは使わないような気がする。ただ、買ってくれる人の立場に立って文字を書くというその精神は尊重しつつ、POPを書く必要がある時は自分なりに納得できる文字を使ってゆきたい。
※字幕文字には古くからの愛好者がいて、また長年いろいろな人が工夫してきたことから一種の文化がある。字幕を手書きすることはなくなったが、敢えて手書き風の字幕書体を使っている映画もある(ハリー・ポッターとか)。だからPOP文字もこの先何十年すると洗練された文化となっていくのかもしれない。字幕の手書き文字が減ったのはもちろん予算の都合も大きい。
【補足】2014年9月19日アップデート
一面的すぎる表現の部分があったので修正しました。
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