2011年のクリスマス、神奈川県から鹿児島県南さつま市大浦町の古民家へ家族で移住。 大浦町は、父方の故地ではあるもののいわゆるIターン。 田舎暮らしのありさまや感じたこと、考えたことのメモ。
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読書メモ(書物周游)
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2022年2月24日木曜日
幽閉寺としての宝福寺——宝福寺の歴史と茶栽培(その4)
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(「 元寺と今寺、宝福寺の拡大 」の続き) 近世末期に編纂された『本藩人物誌』という史料がある。戦国時代を中心に、15世紀半より17世紀までの約二世紀にわたって活躍した島津氏の一門・家中の諸士のいろは順による略伝集であるが、この史料にいくつか宝福寺が登場する記事があるので管見の限...
2022年2月19日土曜日
「思想」としての近代日本文学
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高校の国語の授業が、論理的・実用的な文章を扱う「論理国語」と、文学的な文章を扱う「文学国語」に分かれる、という報道がされている。 正確にいえば、これまでは必修の「国語総合」に加え「国語表現」「現代文 A」「現代文 B」「古典 A」「古典 B」の5つの選択科目という構成だったのを、...
2 件のコメント:
2022年2月1日火曜日
ドルフィン跡のサッカースタジアムはさすがに無理です。
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久々に「オイオイ」と思った。 鹿児島市の下鶴市長が、ドルフィンポート跡につくる鹿児島県の新体育館の隣にサッカースタジアムを作りたいといっている件だ。 しかも、県民の多くが「ぜひあの芝生は残してほしい」と言っているその緑地帯を移設すれば建設できるじゃないか、と主張している。さらに結...
2022年1月1日土曜日
新年の忙しいアピール
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謹んで新年のお慶びを申し上げます(…と書いたが、喪中なので書いてはいけないのかもしれない…?)。 この2年ほど、こちらのブログがすっかり疎かになってしまった。「書くことがなくなったんじゃないの?」と思っている人も多いと思うが、実はそんなことはなく、…いや、まあちょっとはそれもある...
2021年12月31日金曜日
元寺と今寺、宝福寺の拡大——宝福寺の歴史と茶栽培(その3)
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( 前回 からのつづき) 覚卍が無一物の暮らしを貫いていたとすれば、宝福寺での衣食住はどうまかなわれていたのだろうか。覚卍自身は「寒暑を避けず、草を編み衣となし、飢えれば則ち菓蓏を食べる」という自然と一体化した生活が出来たとしても、その頃の宝福寺には覚卍を慕ってきた人々が三渓を為...
2021年12月27日月曜日
パチンコ屋が潰れて、跡地にまたパチンコ屋ができる街
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今年のうちに、今年一番のガッカリ、について書いておきたい。 以前、「イケダパン跡地の有効利用」という記事を書いたことがある。加世田の街の中心部に、イケダパン跡地が廃墟化した区画が残っているからそれを有効利用した方がいい、という内容だ。 【参考】 イケダパン跡地の有効利用 htt...
2021年11月30日火曜日
字堂覚卍は茶をもたらしたか——宝福寺の歴史と茶栽培(その2)
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( 前回 からの続き) 宝福寺ではいつ頃、どのようにして茶の栽培が始まったのだろうか。 それを示す直接的な史料は今のところ見出すことができないため、いくつかあり得そうな道筋を考察してみたい。まずは、宝福寺の開基である字堂覚卍(じどう・かくまん)について考えてみる。 字堂覚卍につい...
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