2011年のクリスマス、神奈川県から鹿児島県南さつま市大浦町の古民家へ家族で移住。 大浦町は、父方の故地ではあるもののいわゆるIターン。 田舎暮らしのありさまや感じたこと、考えたことのメモ。
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読書メモ(書物周游)
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2021年12月31日金曜日
元寺と今寺、宝福寺の拡大——宝福寺の歴史と茶栽培(その3)
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( 前回 からのつづき) 覚卍が無一物の暮らしを貫いていたとすれば、宝福寺での衣食住はどうまかなわれていたのだろうか。覚卍自身は「寒暑を避けず、草を編み衣となし、飢えれば則ち菓蓏を食べる」という自然と一体化した生活が出来たとしても、その頃の宝福寺には覚卍を慕ってきた人々が三渓を為...
2021年12月27日月曜日
パチンコ屋が潰れて、跡地にまたパチンコ屋ができる街
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今年のうちに、今年一番のガッカリ、について書いておきたい。 以前、「イケダパン跡地の有効利用」という記事を書いたことがある。加世田の街の中心部に、イケダパン跡地が廃墟化した区画が残っているからそれを有効利用した方がいい、という内容だ。 【参考】 イケダパン跡地の有効利用 htt...
2021年11月30日火曜日
字堂覚卍は茶をもたらしたか——宝福寺の歴史と茶栽培(その2)
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( 前回 からの続き) 宝福寺ではいつ頃、どのようにして茶の栽培が始まったのだろうか。 それを示す直接的な史料は今のところ見出すことができないため、いくつかあり得そうな道筋を考察してみたい。まずは、宝福寺の開基である字堂覚卍(じどう・かくまん)について考えてみる。 字堂覚卍につい...
2021年11月26日金曜日
宝福寺での茶栽培の記録——宝福寺の歴史と茶栽培(その1)
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南九州市川辺町清水には、かつて忠徳山宝福寺(曹洞宗)という寺があった。 宝福寺は「山ん寺」として知られた大きな寺院で、往時はお茶が栽培されていたという。その廃寺跡(今寺跡)には、その頃の名残と見られるチャノキが今でも自生しており、このチャノキは中国から渡ってきた原種の形質を保って...
2021年11月11日木曜日
南さつま市議選。政策を「選挙公報」から見る
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南さつま市議会議員選挙が行われる。この過疎地大浦町でも、(意外にも)連日街宣車が走り回っている。 前回、前々回の市議選では、私は議会の一般質問の数から議員の働きぶりを見てみる、という記事を書いた。 【参考】 「立候補しなかった人」の責任 (2017年) 「南さつま市 市議会だよ...
2021年8月11日水曜日
小学校のPTA会長になりました
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実は今年度、小学校のPTA会長になってしまった。 もちろん、人望があって選ばれた…とかではない。うちの娘たちが通う大浦小学校は全校の児童が約50人しかいない。保護者の数は30組くらいだったと思う。 PTA会長は6年生保護者から選ばれるとは決まっていない…のだが慣例的に6年生保護者...
2021年2月26日金曜日
もうひとつの世界
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娘から「お父さんは本なら何でも買ってくれるよね」と言われる。 自慢じゃないが(って本当に自慢じゃないが)、うちは貧乏である。世帯年収が150万円くらいしかない。田舎じゃなかったらとてもじゃないが生活できないレベルである。でも、子どもの本は割と気軽に買う。 勉強が出来るようになって...
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