2011年のクリスマス、神奈川県から鹿児島県南さつま市大浦町の古民家へ家族で移住。 大浦町は、父方の故地ではあるもののいわゆるIターン。 田舎暮らしのありさまや感じたこと、考えたことのメモ。
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読書メモ(書物周游)
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2018年3月25日日曜日
薩摩の国学と廃仏毀釈——なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?(その9)
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田中頼庸(よりつね)は、鹿児島で明治の改元(慶応4年、1868年10月)を迎えた。 そして翌明治2年、版籍奉還の後に藩校造士館「国学局」が設立され、頼庸はその都講として起用された。国学局は、学頭・学頭助・都講・授講以下の職員で構成されており、頼庸の待遇は今で言う教授クラスだっ...
2018年3月15日木曜日
田中頼庸と幕末の国学——なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?(その8)
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田中頼庸(よりつね)は、独立独歩の人であった。 彼には、師らしい師がいない。というのは、彼の家庭はあまりにも貧しく、入門の費用が払えなかったのだ。 それどころか、本一冊買うこともままならなかった。貧窮の中にいた頼庸を支えたのは学問への情熱であったが、その学問は独学すらも許...
2018年3月1日木曜日
嘉永朋党事件と国学の弾圧——なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?(その7)
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明治天皇に神代三陵を遙拝するよう建白した人物、田中頼庸(よりつね)とは何者だったのだろうか? 彼は、一般の維新史ではほとんど知られていないから、その人生を少し詳しく辿ってみることにしよう。 田中頼庸は、天保7年(1836年)鹿児島に生まれた。父は田中四郎左衛門、母は樺山氏の出...
2017年12月16日土曜日
「恐竜 v.s. 西郷どん」
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来年も、「砂の祭典」に関わることになった。 今年私は「砂の祭典」の実子推進本部員および広報部員として、このイベントに関わらせてもらった。 でもそれは、30回記念を迎えたこの1回限りのつもりだった。そもそも、「砂の祭典」のメイン期間であるゴールデン・ウィークは、栽培して...
2017年11月25日土曜日
「罪深き愉しみ」
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高校生の頃、NHK-BSで「BSマンガ夜話」という番組があった。 一つのマンガ作品についてとにかく語り明かす! という趣向の番組で、特に筋らしい筋もなく、居並ぶ男たち(稀に女性もいた記憶があります)が熱く語りまくっていた。 「このコマがいいよね〜」という発言が出れば、...
2017年11月16日木曜日
「立候補しなかった人」の責任
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南さつま市長・市議選である。 私は、前回4年前の市議選において、 「南さつま市 市議会だより」で市議の働きぶりを垣間見る という記事を書き、現職市議の働きぶりを一般質問の回数で表してみるということをした。 その記事でも書いたように、この回数だけでは働きぶりを判断すること...
2017年11月8日水曜日
街から本屋が消えたらどうなるんだろう?
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「石蔵ブックカフェ」の様子 今年の9月に、加世田の「ホンダフル」がつぶれた。マンガを中心とした古本、CD、古着なんかが置いてある、若者向けの古本屋だった。 それからすぐに、今度は「加世田ブックセンター」が閉店して、本町の通りに「加世田書店」として移転オープンした。店の...
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