2011年のクリスマス、神奈川県から鹿児島県南さつま市大浦町の古民家へ家族で移住。 大浦町は、父方の故地ではあるもののいわゆるIターン。 田舎暮らしのありさまや感じたこと、考えたことのメモ。
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読書メモ(書物周游)
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2017年11月25日土曜日
「罪深き愉しみ」
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高校生の頃、NHK-BSで「BSマンガ夜話」という番組があった。 一つのマンガ作品についてとにかく語り明かす! という趣向の番組で、特に筋らしい筋もなく、居並ぶ男たち(稀に女性もいた記憶があります)が熱く語りまくっていた。 「このコマがいいよね〜」という発言が出れば、...
2017年11月16日木曜日
「立候補しなかった人」の責任
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南さつま市長・市議選である。 私は、前回4年前の市議選において、 「南さつま市 市議会だより」で市議の働きぶりを垣間見る という記事を書き、現職市議の働きぶりを一般質問の回数で表してみるということをした。 その記事でも書いたように、この回数だけでは働きぶりを判断すること...
2017年11月8日水曜日
街から本屋が消えたらどうなるんだろう?
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「石蔵ブックカフェ」の様子 今年の9月に、加世田の「ホンダフル」がつぶれた。マンガを中心とした古本、CD、古着なんかが置いてある、若者向けの古本屋だった。 それからすぐに、今度は「加世田ブックセンター」が閉店して、本町の通りに「加世田書店」として移転オープンした。店の...
2017年11月1日水曜日
コスト・ダウンをやめ、コスト・アップを図れ
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先日、加世田の若手農家Kさんのところにいって、ショウガを仕入れてきた。 「南薩の田舎暮らし」では「ジンジャーエールシロップ」を製造・販売しているが、この原材料となるショウガはKさんから仕入れている。 実は、自分でも2年ほどショウガを作付して作ってみたものの、どうも上手...
2017年10月27日金曜日
島津久光と明治政府の対立——なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?(その6)
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島津久光 明治天皇が神代三陵を遙拝してから5日後の明治5年(1872年)6月28日、既に天皇は出発の予定になっていたが、悪天候のため鹿児島に足止めされていた。 そうした機会を捉え、島津久光は衣冠束帯の姿を整えて天皇の行在所に赴き、徳大寺宮内卿を通じ天皇に「14箇条の建...
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2017年9月24日日曜日
神代三陵が等閑視されていた理由——なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?(その5)
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明治天皇の鹿児島行幸(山内多聞 画) 前回に見たように、鹿児島に神代三陵があるという説は幕末までにかなり確立していた。 ただし、それらが鹿児島の中のどこにあるか、というと異説がいろいろとあり、幕末の時点でも決定打と呼べる説はなかった。何しろこの頃は、古代の考証といって...
2017年9月19日火曜日
薩摩藩の天皇陵への関心——なぜ鹿児島には神代三陵が全てあるのか?(その4)
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『神代山陵考』白尾国柱 著 これまで見てきたように、天皇陵は、幕末の頃は尊皇攘夷の象徴として、また維新後は「万世一系」の歴史的証拠として時の政権に利用されたのであった。 では、鹿児島にとって、天皇陵とはどんな存在であったのだろう。やはり薩摩藩も、天皇陵を政治的に利用し...
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