tag:blogger.com,1999:blog-5072470324542872480.post1195828161238857499..comments2024-03-21T21:52:23.914+09:00Comments on 南薩日乗: 墓石の変転から伝統と革新を考える風狂http://www.blogger.com/profile/01389054297498670117noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-5072470324542872480.post-75491016768654829932012-05-12T15:36:18.891+09:002012-05-12T15:36:18.891+09:00いつもありがとうございます。参考になってよかったです。
共同墓地に葬られていた時は、おそらく墓石の...いつもありがとうございます。参考になってよかったです。<br /><br />共同墓地に葬られていた時は、おそらく墓石のない墓もたくさんあったろうと思います。おっしゃるように、特に功績のあった故人を顕彰するという意味合いも、墓石には込められていると思いますし、だからこそ、明治大正の墓石は自己主張が激しいものが多いのでしょうね。風狂https://www.blogger.com/profile/01389054297498670117noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-5072470324542872480.post-46317188725498871322012-05-12T06:52:16.961+09:002012-05-12T06:52:16.961+09:00こんにちは。えびの人です。
先日墓地に行く機会があり、その際に感じた違和感がまさに古い時代の墓石に...こんにちは。えびの人です。<br /><br />先日墓地に行く機会があり、その際に感じた違和感がまさに古い時代の墓石に個人名が刻んであったということでした。<br /><br />ブログを拝見して、以前の墓とは個人の霊を弔うものだったのだと知り、大変有益でした。<br />おそらくは階級の高かった者、戦功のあった者などの名を後世に伝えるということも墓地(墓石)の重要な役割だったのではないでしょうか。<br /><br />素通りしていたテーマから、人の営みに思いを巡らすことができました。ありがとうございました。Anonymousnoreply@blogger.com